高校球児の皆さん、練習やってますか??
ここ最近、続けて私の野球での思い出を振り返っています。
前回までで、高校一年生の冬練まできましたね。
年が明けてシーズンに入り、春の大会を迎えます。
正直、そこら辺の記憶が全く無くて、春の大会に背番号何番だったかすら覚えていません。
当時ベンチの入れなかった人からすれば「ふざけるな!!」と怒られそうな気がしますが、本当に覚えてないんですよね・・・。
どんな心境だったかも覚えていない。
春の大会が終わってから夏の大会まで毎週オープン戦が入ってきます。
一つ、エピソードを思い出しました。
私達の学校では6月に文化祭を行います。
野球部は招待試合と称して、文化祭と同じ日にオープン戦が組まれます。
そうすると3年間で一度も文化祭に出られなくなってしまうので、3回のうち2回は試合、1回は文化祭に出る、という風になっています。
私の世代は、1年生、2年生の時は招待試合、3年生の時は文化祭に出る、という状態でした。
んで、1年生の時の招待試合はすごかったんですよ!
6月に試合をやるわけですが、3月には春のセンバツ甲子園に出ていたチームです。
試合中、女子高生がグラウンドの周りで見ていて、結構見物客がいたんですよ。
ちなみに、寮にはファンレターとか届いてたし。
んでんで、それが2年生の時の招待試合では客一切無し!という状態(笑)。
こんなにも違うのか!と思っちゃいましたよ。
それで2年生の時は、相手が高知高校だったんです。
強豪校だったので心してかかりました。
その試合、私は先発を任されまして、記憶が定かではないのですが、5-0とかそれくらいのスコアで勝ちました。
しかも、ノーヒットノーランを達成したんですよ!
でも、・・・四死球8つ出しましたけどね(笑)。
普通、ノーヒットノーランをやった時って、めちゃくちゃ調子良くてバンバン三振取るイメージだと思うんですけど、全くそんな感じではありませんでした。
四死球8つですから、ほぼ毎回ランナーが出ています。
なのでほぼ毎回ピンチ(笑)。
なのでノーヒットノーランをやった実感が全く無し(笑)。
こんなことあります??
今となってはいい思い出です。
当時、監督からも「お前はよう分からん」みたいなことを言われた気がします。
そんな状態で2年生の夏を迎え、背番号は「1」を頂きました。
正直、自他ともに認めるチームのエース、という感じではありませんでした。
この時のチームは秋の大会、春の大会、夏の大会全てエースナンバーを別の人がつけるという状態だったんですよね。
ピッチャー陣の混迷具合が伺えます。
次回は2年生夏の大会について記事を書いていきますね。
加治やんより
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