高校球児の皆さん、練習やってますか??
前回は、私が野球を始めた小学二年生の頃の話を通じて、なぜ野球が楽しいと感じたのかをお伝え致しました。
今回は小学三年生~四年生の頃を振り返っていきます。
小学二年生で野球を始めて、六年生のピッチング練習を見てカッコいい!と感動してから、毎週の日曜日の練習が楽しみで楽しみで仕方がなかったです。
そんな中で、小学三年生になって初めて背番号を頂くことが出来ました。
当時のシキタリでは、春に背番号をもらって一年間ずっと同じ番号をつけるというものでした。
もらえた背番号は「18」でした。
レギュラーは一桁なので、ほぼ戦力外なんですけども、初めてもらえたし、プロ野球的にはエースナンバーな雰囲気もあったのでとても嬉しかったですね。
巨人の桑田と一緒だ!とか言ってうかれていた記憶があります。
とは言いましても、この小学三年生の時の記憶はほとんど無くて、初めて背番号をもらえたというエピソードしか出てきません。すみません笑。
小学四年生になってから、背番号は「11」になりました。
前年よりは少し良くなりましたね。
しかも、その年からユニフォームのデザインが変わったことを覚えています。
それまでは、クリーム色をベースにして左胸に地域の名前が漢字で書いてある、ザ・昭和なデザインだったんですけど、四年生になってから白を基調にして左胸にロゴマークがあるデザインになったんです。
それもあって、これから頑張るぞ!という雰囲気がありました。
当時の六年生の中には、私の二歳年上の兄がいまして、彼が四番バッターを任されていました。
そういう中で、私は毎試合のように先発を任せて頂くようになりました。
ところが・・・・、これが全くストライクを投げることが出来ず、初回で自滅して交代されるというパターンが何回も続きました。
押し出し四球を何度もしていましたので、そんな自分が情けなくて何度もマウンドで涙を流しながら投げていた気がします。
というか、まともに投げられた記憶が無いんですよね。
交代してからも泣いていて、よく監督、コーチから「泣いてんじゃねぇ!情けねぇ!!」と怒られていましたね。
自信は無いし、ストライクは入らないし、どうしようもない状態でしたけども、それでも野球をやること自体は楽しかったし、試合には出たいと思っていました。不思議なものです。
そして、その年はチームとして本当に一勝もできずに最終戦を迎えてしまいました。
それが、最終戦で奇跡的に勝利することができて、父母会の皆さんと大会に優勝したのかと思うほど、監督もコーチも全員で喜んだ思い出があります。
この小学四年生の初めての挫折があったからその後の五年生、六年生での飛躍があったのだと思います。
次回は五年生、六年生を振り返ってみます。お楽しみに!
加治やんより
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