野球で天下を取った気になった小学六年生

ピッチャー論
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高校球児の皆さん、練習やってますか??

前回は小学三年生、四年生を振り返って初めて挫折について書きました。

今回は小学五年生、小学六年生の思い出を書いていきます。

小学五年生になって背番号は「1」を頂くことができました。

三年生、四年生の頃はちょっとぽっちゃり体型だったのですが、五年生になった頃からスッキリし始めてある程度動けるようになったような気がします。

また、この頃、同じ学区内の別のチームの人数が少なくなったということで、そこから六年生の先輩2名がチームに加わりました。

それでも六年生は確か5人くらいしかいなくて、それ以外は私達五年生が試合に出ていたような記憶があります。

正直、一つひとつのプレーはあまり覚えていないんですけど、四年生の頃のような四死球ばっかりで試合を壊してしまう、ということは無くなり、エースピッチャーとして役割を果たせていたように思います。

六年生になり、背番号は「10」を」頂き、チームのキャプテンとしてプレーすることになりました。

また、エースでもあるし、四番バッターも任され、名実ともにチームの中心選手として頑張っていました。

六年生としてのチームが始まって最初の大会が、リーグ戦だったんですけど、チームとして初めて優勝することができました。

しかも全勝優勝でした。

明らかにそれまでのチームの成績とはレベルが異なる状態でしたので、自分だけではなく周りの選手も保護者達も「これから強くなるぞ」という実感を持てたと思います。

ピッチャーとしてもバッターとしても、文句のない成績を残せるようになりましたので、野球をやっていてとても楽しかったですね。

当時、身長が160㎝後半(卒業時には170㎝を超えていました)でしたから、投げる球はスピードが速くて奪三振率は高かったと思います。

また、当時は小学校のグラウンドで試合をしていまして、ホームランはランニングホームランか「この線をノーバウンドで超えればホームラン」というローカルルールがありまして、そこを超えたことがある人を見たことが無かったのですが、私は何度もそこを超えることができました。

今でも当時のチームの成績を覚えていまして、46勝7敗、優勝4回、準優勝3回という立派な成績を残すことができました。

ホームランは一年間で20本近く打ったんではないでしょうか。

小学六年生はまさに無双状態でした。

「オレみたいなのがプロに行くんだろうな」とマジで思ってましたからね笑。

印象に残っているエピソードは二つ。

六年生の後半に、なぜだか忘れましたが、その日に一日で4試合をこなさなくちゃいけなくて、エースである私はそのうち3試合を完投、もう一試合は二番手ピッチャーが投げて、チームとして4勝するという日がありました。

もう一つは、これも六年生後半の市内大会決勝でのものです。

決勝でいつもあたるライバルチームがありまして、だいたい私の活躍で勝っていました。

その日は、四番の私を一打席目から敬遠されました。

ランナーがいなくてもですよ。

二打席目も三打席目もです。

それで、第四打席が満塁の場面でまわってきました。

確か1点負けているような展開だったと思います。

これはさすがに勝負してくるだろうと思って、めちゃくちゃ緊張しながら「絶対に打ってやる!」と意気込んで打席に入りました。

それでも敬遠されたんですよねー。

さすがにびっくりしました。

満塁でしたので敬遠されて一点が入って同点、続くバッターがタイムリーヒットを打って逆転に成功し、その大会を優勝することができました。

六年生の時は結果が出ていましたのでとにかく楽しかったです。

そんな六年生を過ごして天下を取った気になっていました笑。

次回は中学校時代の思い出を振り返ります。

もう夏の大会は目の前、皆さんの活躍を祈念しております。

加治やんより

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