高校一年の秋は低空飛行でした

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高校球児の皆さん、練習やってますか??

6月の末頃から私の野球歴について振り返る記事を投稿しています。

小学校二年生に野球を始めましたので、その頃から高校一年の夏まで振り返ってきました。

今回は、高校一年の新チームになってからを書いていきます。

1997年8月に甲子園に出場し、浦添商業に負けてから地元に戻ってきました。

あまりよく覚えていませんが、戻ってからはすぐに新チームとしての練習が始まったように感じます。

休みは1日くらいしかなかったんじゃないかな。

この時期の練習はツラくてねー。

夏休み中は基本的に一日練習をやります。

新チーム結成時はだいたい「基本がなってない」とか言われて、キャッチボールだけで午前中が終わることもありました。

全体練習は、挟殺プレーやバント守備とか何回も何回も繰り返しやりました。

このバント守備の練習がイヤでねえー。

バッテリーと内野手は通常通り守備位置について、外野手と他のメンバーがバント役とランナー役に分かれて練習を進めていきます。

無死一塁の場面で送りバントをされることに対する守備の練習をやるわけですけど、要はピッチャーがストライクを投げないと練習にならないわけですよ。

これがなかなか投げられなくてねえー。

ボールが続くと監督に怒られて、怒られると委縮して余計ダメになって・・・。

あんまりボール球が続くと監督に「走ってこい!」とか言われて、グランドを全力で一周してからまた投げるんですけど、そんな状態で投げてもうまく投げられないんですよー。

イヤだったなあ苦笑。

そんな風にしながら練習をして、秋の大会では背番号「11」を頂くことができました。

チームとしては決勝戦に駒を進めることができて、ライバルチームと優勝を争うことになりました。

その試合、チームとしてはずっと劣勢でしたので、先発から二番手に代わって、三番手くらいで私が登板しました。

でも確か、四死球を出したり打たれたりして、途中で交替しちゃった気がします。

チームとしては準優勝でしたのでその後の関東大会への出場が決まったんですけど、試合が終わってから全体ミーティングの中でめちゃくちゃ怒られて「お前は関東大会のベンチには入れん!」って言われて、実際に背番号をもらうことはできませんでした。

凹んでた気がするなあ。

あの頃は監督が怖くて怖くてまともなピッチングになっていなかったような気がします。

全然自信を持ていなかった。

高校球児の皆さんはどうですか?

自分のプレーに自信を持っていますか?

是非自信をもってプレーしていてほしいですね。

次回は冬の練習の話をしていこうかと考えています。

皆さんの活躍を祈念しております。

加治やんより

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加治やんの高校野球講座

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