高2の秋から高3の春までは暗黒時代でした。

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高校球児の皆さん、練習やってますか??

前々回の記事で高2の夏の大会について振り返りました。

あの時は80回の記念大会で松坂を始めとしてたくさんの才能あふれる選手達が大活躍していました。

そんな中、私達の高校では新チームの練習が始まりました。

前の年と同じように地道な練習ばかりしていた気がします。

とにかく覚えているのは、バント守備の練習と挟殺プレーの練習を何度も何度もやったことです。

もうホントにイヤになっちゃうくらいやりましたよ。

そんな風にして実力を高めていくんでしょうけど、当時は理解できなかったなあ。

そうそう、新チームになってから私は四番を任されるようになりました。

もともとバッティングは好きで、それまで試合に出るときは「9番ピッチャー」だったので気楽に打席に入っていましたので、まあまあ打てていた気がします。

監督からは「お前は体がデカいんだから四番を打て」と言われました。

四番を打つとどうなるか・・・。

考えてみてください。強豪校のエースで四番、左利き、身長は180㎝以上、相手チームからしたら絶対に警戒しますよね。

もうね、今までに経験したことが無いような攻め方をされるんですよ。

初球は変化球のボール球からとか。

それまでは9番ピッチャーですから、真ん中のストレートしかこなかった状態だったのにですよ。

そりゃ打てませんよね苦笑。

記憶が定かではないんですけど、確か新チームになってから30打数ノーヒットとかそんな状態でした。

監督もこれはまずいと思ったんでしょうね、打順が5番になり6番になり、最終的には9番まで下がりました(笑)。

んで、9番まで下がったらまた打てるようになって(笑)。

高3の夏の大会では6番になっていました。

そんなこんなで新チームになってから練習試合をこなしていったわけですけど、全然うまくいかなかったんですよね。

高2の夏の大会は背番号「1」をもらっていて選手が全然伸びなかった。

私は練習は真面目にやるタイプではあったのですが、とにかくビビってました。

四死球が怖いし、ミスすると監督にめちゃくちゃ怒られるしで。

高2の秋の大会も背番号「1」を頂きましたが何だか全然でしたね。

一番ひどかったのが高3の春の大会の頃です。

もう全く思った通りに投げられず、四死球連発。

結局高3の春の大会は背番号「11」になりました。

「1」は一つ年下の後輩がつけていました。

ちなみにその後輩というのは中里君といって後に中日にドラフト一位でプロに入る人です。

春の大会が終わってからも良くならず苦しんでいました。

この頃が一番辛かったかなあ。

バッテリーを組んでいた控えキャッチャーと二人で「このまま終わっちゃうのかな」なんていうことをしゃべっていた覚えがあります。

こういう時って状況が好転してくことを全く想像できないんですよね。

この後どのようにして復活していったのかは次回の記事で書いていきます。

加治やんより

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